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障害によっては
今年も気温が15℃を超える季節になりました。少し前から冬の畑を手入れして夏野菜を植え付ける準備をしてきました。夜明けが早くなると気持ちもはやり、さっそく近くの苗屋さんに出向いて、ナス、キュウリ、トマト、パプリカを少しだけ購入しました。遅霜対策で寒冷紗をかけて見守っていますが、ようやく活着して新しい葉が伸びてきました。
厚労省の障害認定は、一定期間症状が安定して、それが生活や就労に大きく影響しているものについて、等級を定めて障害指定をしています。その中に、難病を患い、自力では自宅から出ることができない方や寝たきりの症状の方もおられます。その方たちの視界はどうなっているのだろうと気になっていました。一日の多くの時間は目覚めているので、視力のある方はそこから見えるエリアを見続けることになります。それは多くの場合は止まっている空間になり、変化のない映像になります。私は喉頭がんの手術後に3日間は首の動きを固定されて、ベットで過ごしたことがありますが、なにもすることがなく、考える余裕もなく、術後の不安を感じながらの時間はとても長く感じたことを覚えています。
その経験から人は体を動かすことで視界が変わり、その変化があることに無意識に慣れていまいますが、それが日々の暮らしにどれほど尊いものであるかを教えてくれました。“なにげなく”あることが暮らしを支える大切なものだとも思えるようになり、障害によっては、なにげないことができなくなる方もおられることを知る機会にもなりました。
福祉がどのようなお手伝いができるのだろうか、大きなテーマになりますが、せめて医療技術が進歩するまでの間、微力ですが意思をもって視界を動かすことができる手法に取り組みたいと考えています。私は病気で発声機能を失いましたが、人工喉頭器を使って、少し変な音声で会話しています。それで日々刺激を得て、多くのことを学ぶ機会になっています。ただひたすら聞くだけの会話は苦痛が増すだけで大変なことです。視界を動かすことと私の障害は違いがありますが、意思をもって見ることや会話ができることの必要性は感じています。
近年、ICTやロボット制御の技術が進歩し、実際に働くことを体現できるシステムとして、遠隔医療のロボット手術や教育指導、また工場ではロボットによるモノづくりが始まっています。遠隔で機器を操作して働くことをアバター就労と称されますが、人がプログラミングなどで意思をもって機器を操作して、自由に視界の動きを作り出すことについても可能性を感じ、福祉も新たな領域にきていると感じています。