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金太郎と桃太郎

しゃれ話に、日本人に何かをお願いするときは、“みなさんがしていますよ”と耳元でささやくことです、といった国民性を象徴する言葉があります、実に的を得た表現かもしれません。私たち日本人は長年にわたって自然や風土から、この地にあった社会を作ることで、同じ価値を持つようになってきました。季節に応じた生活ぶりでは、春になると田植えをはじめ、夜が明けると田んぼに出て、日が暮れると風呂を焚き夕餉の支度をするなどの決められた暮らしを繰り返してきました。秋には村の人が総出で稲刈りをして米を収穫し、それが冬を越すための貴重な食料になり、また通貨や年貢にもなりました。少し前の日本のどこにでもある風景でした。


日本では稲作を中心に四季の風習が生まれ、地域文化がつくられ、村のおきてを守る同一集団性が高められ、暮らしぶりから人々の習慣や価値が同じであることをさらに大切にするになりました。“おきて”にそむくことは許されず、集団に従うことでのみ個人の安全や生活が守られる、そのような時代が長く続きました。奈良でもまだまだそのような風習を重んじる傾向がいくつか残っています。


いくつかの風習の一つに“家族に障害者がいることが普通でなく特別なことである“との考えがあります。それが現代でも障害者の社会的な自立や就労を制限する足かせになっています。科学が進歩し近代的な都市がつくられても、そんなに簡単に風習が変わるものではない、その思いを強く感じています。それでも多くの方のお力を得て10年前に障害に関する制度が変わり、社会も同一性から多様であることを評価してくれるようになり、徐々にですが理解が広がり、この4月には障害者差別禁止法が本格的に施行されることになりました。


おかげさまで、ぷろぼのの福祉事業を家族で一緒に見学に来られる方が増えてきたように感じています。また障害者も障害があることを隠すことなく働く人も出てきています。彼らにとってはとても勇気のいることですが、その行動を評価するとともに、この積み重ねが現代に残っている過去の風習を消し去り、新しい風習がつくられるように歩んでいきたいと願っています。


現代は過去に倍して情報量が増えているので、なかなか生活スタイルや思いを新しくすることが難しくなりましたが、どこか基本レベルで互いの生き方を尊重することはできると思います、障害についても、ちょっと違うけれど・・だけど同じ仲間でいいじゃないですか・・と思えるような「風習」になればと期待をしています。
金太郎あめに桃太郎が出てくることも普通に思える社会にしたいものです。

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