ブログ
新年におもうこと
新年になりました、今年も宜しくお願い致します。
奈良のお正月はお天気も良くて爽やかな新年の幕開けでした。年齢を重ねるとお正月といっても特段新鮮さはないのですが、それでも今年この一年をどのように生きるかを考えるよい機会になります。私の新年の抱負は、「穏やかに、自然に感謝して一年を過ごすこと」です。何か目標を定めて頑張ることではなくて、日々生じるいろいろな事象に対して自然のままに振る舞うことです。そのようにできればよいと願ってもいます。
私の友に和歌山県新宮市でNPO共育学舎を運営している方がいます。彼は限界集落のような村で廃校になった小学校をお借りして自給自足型の生活をされています。米や麦、野菜類は全て自家生産で賄っています。そこに全国から若者が集まってきます。特段のPRをしているわけでもないのですが、今どきなのでしょうか参加された方がSNSや出版物で紹介することで広がってきたようです。私も13年前からこの活動に参加させて頂いています。
ここでは学生時代に参加された方の中から、卒業後に定住する方たちが出てきています。まだまだ都会志向型の日本で、なぜ彼ら若者たちがここを訪れて、魅力を感じて定住を考えるのかは、私にとってとても不思議な現象なのです。ただ、彼らと話をしているうちに、現代社会に潜んでいる「生きることへの不透明感」を深刻に抱えていることが見えてきます。人生に正しい生き方や方向性などはないのですが、それでも生きるための何かの支えを求めているようです。その中に地域の「自然」が与えるなにかの要素があるようにも思います。そこには都会の人工的な文化域では感じることができない心に響くものがあるようです。それが安らぎや親密感を増長させていると感じています。
私が生きた戦後の昭和の時代は社会の目標は意外と単純であり、生きるために日本の国がどうあるべきか、そして私たち個々がなにをしなければいけないのか・・との明確なものがありました。分かりやすい生き方であり、自然が豊かでそこで生かされていることを強く感じることができる環境でした。それに比して、都会型の現代社会では、ITをはじめ多くの分野で技術が進み人工的な色合いが強くなるに従って、社会にもいろいろな思いや課題が生じてきています。いつのまにか日本が自然豊かで分かりやすい社会から、自然と文化が混在し、多様な価値や生き方を認め合う成熟した社会に足を踏み入れたことなのでしょうか・・。少し人間が頑張りや無理をすることを求める社会になったようです。そのようなことを思いながらも、初めて来られた時には目標を失い、疲れた印象の若者たちが、自然豊かな場ではみるみると元気になる姿は頼もしい限りです。
福祉の現場でも、自然との関わりが薄くなり、人工的な環境に戸惑いを示す兆候が見え始めてきました。無理をしたのでしょうか・・精神疾患の方が急増している現実はそれを物語っています。ふと、職場に生花をかざりメダカなどの生き物を飼い、デスクトップは自然の画像にするなど、心を和ませる工夫をすることも大切だと思ったりします。職場の常識やルールに無理をすることなく、一人ひとりが思いや能力に向き合って、人間らしい自然な生き方、働き方がきるように心がけていただきたいものです。