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年齢と肺炎

奈良では例年10月上旬に稲刈りが終わり、田んぼの切り株の周りに小鳥がえさを求めています。朝晩も急に冷え込むようになり風邪を引かないように気を付けていましたが、なんと9月末に肺炎を患ってしまいました。咳も出ず、高熱のみなので初期の内科医の診断も他の病名が予測されていました。そのために発症から病名が決まるまでに数日を要し、入院することになりました。約2週間の治療で強力な抗生剤20パックの点滴を受けましたので、平熱になってからも体力の低下とともに倦怠感が続きました。先週から職場に復帰はできましたが、半日程度の業務でも疲労が出てしまいます。Drからは2週間の治療期間があれば、体力が戻るのに倍の期間が必要になる、とのアドバイスをいただいていますが、それを実感しています。

ふと人生70年を振り返ると、成人になってからインフルエンザなど38度以上の発熱の経験がないので、これが7日間続くことの大変さを身に染みて感じました。家族からは年齢相応の生活をするようにとの厳しい“指導”を受けています。TVで65歳以上の方は肺炎に注意との放送がありますが、これまでは他人事として観ていましたが、そうではないことに気づかされました。

入院時に特に気になっていたのが、“野菜畑”です、10月上旬のこの時期は9月に種まきした白菜、大根、水菜、かぶ、小松菜、ほうれん草などが一斉に芽を出す時期なので、虫との戦いがあります、2週間も放置すると芽や葉が無残に食いちぎられ、茎のみになることもあります。近年、手ごわい小型の虫が大量に発生しているので定期的に手で捕まえてつぶすしか対策はないので、それだけに入院は痛手になります。退院して2週間ぶりに畑に行きましたが、かぶが全滅していました。

野菜は手を掛ければかけるほど応えてくれます、逆に手を抜くと途端に大きなしっぺ返しがやってきます、野菜を育てることは、手順に沿ってとてもよくできていると思っています。なにか子育てに通じる点が多々あります、愛情豊かに育てられた子どもたちは、無意識に余裕のある表情をして素直に受け入れてくれ、また他人のことにも関心をしめしますが、不足していると自分のことで精いっぱいの表情をすることが多々あり、絶えず何かを求めているように感じられることがあります。

福祉に関わっていると、そのようなときでも“自分のこと”から“他人のこと”も同じように理解し対応する習慣ができます。いつのまにか「主語は私ではなく私たち」になりますので、自分一人が頑張っているとの思いも薄れて、みんなの中に自分がいることが自然に思えるようになります。やはり人間は集団の生き物なのでしょうか。

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