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常識の壁
例年なら大寒のこの時期は1年で最も寒いのですが、今年は暖かくてすでに菜の花が黄色く咲き始め、ブロッコリーの枝芽も硬くなり始めています。暖冬は高齢者には過ごしやすいのですが、季節のサイクルを考えると、この先なにが起こるのか心配になります。グレタさんたちの主張に真摯に聞き入ることの大切さを感じています。
障害福祉ではいつもと違うことが得意でない方がいます。事前に伝えられていることなら段取りよくできるのですが、急に修正や追加が入るとその時点で戸惑ってしまいます。多分、ご自身で入念に準備して「こと」に臨んでいると思います。その方の気持ちになれば、まじめで慎重であれば、“予定と違うこと”に戸惑うのは当たり前のように思います。世間では、それを生真面目と表現し、もう少し深まると“融通が利かない”など、厳しさが増します。
どこかで社会の常識を作り出す基準が動くことで、同じことでも正反対の評価になることがあります。新基準に分かりやすく、納得できる根拠や理由があればいいのですが、往々にして“大人だから、みんながそうだから・・”と誰か大きい声が断裁してしまうようです。
この融通性の度合いが障害認定の基準になります。発達障害の医学的な判断は画像診断でも血液検査でも身体の機能評価でもなく、いくつかの設問から標準値との差で評価されます。乱暴な表現ですがDrのその時の気持ちも大きく影響することもあると聞いています。ただ人がすることなのでこの曖昧さが悪いわけではないのですが、これで救われる方もいれば、深みにはまる方もおられます。診断結果は患者により受け止め方が違うのですが、繰り返されることで自然に世の中の「常識」になります。
一方、歴史的には普通でない、融通が利かない、こだわりが強いと言われている方たちの活躍も見られ、素晴らしい仕事や新たな理論を作り出しています。彼らは時代を牽引する役割も担ってききました。民主主義の時代にこだわりが強い彼らが多数の意見を俯瞰して、時に論理的な意見を述べることで、学説や制度を改良し修正する機会を与えることにもなっています。常識や習慣は日々の暮らしに大切ですが、私たちは一つの基準だけでなく、多様な常識が生まれることも受け止めることになります。
冬が冬らしくないのも、これもよしになるのかな・・。