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印象と固定
先日、梅雨の合間の夏至の日に妻と二人で長い夕方を楽しんでいました。奈良の南の空には伊丹空港に向かうのでしょうか、飛行機の明かりを数多く見ることができます。その明かりを追いかけ、数えるだけでのんびりとした時間を味わうことができます。
以前に、妻にそろそろ田舎に移住してみませんか、と尋ねてみました。妻からは即座に「田舎には虫と蛇がいるでしょ・・」との返事がありました。彼女にとっては、田舎の自然豊かな風景や新鮮な水、空気、食べ物よりも、はるかに大嫌いな「虫と蛇」が印象深く残っていて、すでに固定観念になっていたようです。ちなみに東京には虫は少ないので・・とか、ニュージーランドは蛇がいないから、などと聞いてみると、少し首をかしげながら、東京は長い間住んでいたし、買い物を楽しめるところがよいのだけれども、この年齢になると人ごみが窮屈に感じるようになった、とのことでした。またNZは南半球の国なので、4月に桜が咲く春や、10月に果物がおいしい秋を楽しむことができないので、やっぱり日本がよく、できれば適当な大きさの町がいいとのことでした。
また、奈良にはお店が少ないので、買い物の楽しみについて聞いてみると、お気に入りのタブレットで楽天やYahooサイトをチャックすることや、TVショッピングの深夜放送をちゃっかりと眺めて満足しているとのことでした。どうしても気持ちがおさまらない時には、すでに嫁いだ二人の娘を呼び出して、京都や大阪に出かけているようです。買い物行動は、年齢とともにすでにしっかりと固定化され、さらに成長して定期的に衝動として湧き起っているマグマ的欲求のようになっています。
奈良に越してきたときは、お寺と神社ばかりが目に映り、とてものんびりした町との印象を持っていました。例えば、人が歩く速度ですが、奈良の人は極端にゆっくり歩きますので、来た当時はその“ゆっくりさ”に違和感を覚えることもありました。また大和時間と呼ばれる時間の観念も独特で、不思議な習慣であるとの印象がありました。
住めば都と、昔の人はよくいったもので、年月を経て今ではすっかり奈良が気に入っています。四季折々の風景があり、毎年の祭りや行事ではよく似た人の表情や流れがあります。それらがいつの間にか「新鮮な印象」から「固定の印象」に成長しています。同じであることの安心さと違いがあることの驚きを楽しんで、これから奈良の暑い夏を乗り切れることを願っています。