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仲川順子様へ

少しだけ夏の終わりを感じさせるこの頃ですが、悲しい知らせが届きました。初代「ならNPOセンター」」理事長の仲川順子様が亡くなられた旨のお知らせでした。2年ほど前から喉の調子を悪くされて、声を出すことも大変そうでした。体調面のご心配もあったのでしょうか、昨年の5月に、ならNPOセンターの理事長を退任されました。その後にお会いして二人で食事をさせていただきました。その時のコースメニューに2巻の握りずしが出されたのですが、“今は生ものがダメなので・・“とおっしゃられて、代わりに私がそれをいただいたことを懐かしく思い出されます。

仲川順子様は、私が奈良の市民活動に参加するきっかけをくださった方なのです。15年ほども前のことですが、奈良国道事務所が市民向けの講演会を開催されました。その朝の新聞に告知案内がありましたので、闘病中の身でしたが、なにか気になって出かけました。その時のパネラーに彼女がいたのです。その時彼女がおっしゃられたことは今でもはっきり覚えています。“奈良を住みやすい街にするためには、地元の方「土の民」と外からやってきた「風の民」が協力する必要があります。”・・これは民俗学者の柳田邦夫の言葉でもありますが、その時の私には、奈良の将来を見据えたとても新鮮な言葉に映りました。

その印象が忘れられなくて後日、ならNPOセンターに彼女を訪ねました。幸いにもお時間をいただき、市民活動への思いを話していただきました。その後2年間、私はここでボランティア活動をさせていただきました。その時に教えていただいたことが、実は現在のぷろぼのの活動に大いに活用させていただいています。例えば、理念の最初に“古都奈良の地を大切にします。”は、彼女から伝授されたものでした。また英語が堪能な方で、外国の方の受け入れなど、国際交流による奈良の再生にも取り組まれていました。

たまたま、ある時に「風の民」の話に刺激を受けて市民活動を始めた旨を直接お話しする機会があった時に、彼女は、“そのようなことがあったのですか、パネラーとして参加することも有意義なこともあるのですね・・”とおっしゃられたことが印象的でした。

奈良の市民活動の礎を築かれた彼女の思いを受け継いで、少しではありますが目標とされたことの一つでも具体化できるように頑張りたいと決意した一日でした。

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