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人間社会の論理思考

 桜の時期になると14年間続けている野菜づくりが忙しくなります。昨年の秋に植えた大根や白菜、水菜などの収穫がすでに終わり、畑には少し残った野菜たちが黄色い花をつけます。桜のピンクと菜の花の黄色はこの時期の太陽や空の青さとなじんできれいな光景を作り出します。毎年この時期になるとみることができるのですが、なぜか印象深く感じています。
 自然の循環は毎年同じであり、暦が進めば多少の差はあっても、かならず季節は変わってきます。そこで生きる私たち人間も季節の移り変わりを肌で感じることができます。改めて暦を見て、“3月から4月になるので、季節は確実に春です。”などと確認する必要はないのです。
 私は毎年、この時期に畑の冬野菜を片付けて、畝を整えて夏野菜を植え付ける準備をします。ナスやキュウリ、トマト、すいか、メロン、とうもろこし等の苗の準備をします。当たり前のように同じ時期に同じ種を播き、同じように手入れをすると発芽してきます。温度、水分、栄養があれば当然のように発芽するのですが、それでも時期が違うとなかなか発芽してきません。小さな種のどこに決められた外の刺激に反応するスイッチがあるのかが不思議になります。発芽して、適度に水や肥料を与えると二葉が出てやがて大きく成長します。
 これらの現象は野菜の遺伝子に組み込まれた自然の流れに従ったことであり、私たちが特段になにかをしたわけではないのです。それでも種によっては、また植え方、手入れの仕方によって生育は明らかに違ってきます。野菜に人と同じような「考える力」が備わっているわけではないのでしょうが、それでも温度、水分、栄養などに的確に反応してきます。また手入れの程度ではっきりと結果が違ってきます、素晴らしい対応力を感じています。
 人間は成長に応じて社会から多くの影響を受けますが、その効果も生じる現象も多種多様になります。複雑なことのように思われますが、案外野菜の生育と同じで手入れの仕方に素直に反応しているのかもしれません。社会で生じる面倒なことの「本質」を見極めれば、意外と単純で、簡単な道筋になります。人間社会の表面に出てくる事象や情報に隠れている「本質」や「原理」を探し出すことが大切になります。論理的思考とは、社会にある複雑だと思われていることを、単純化して、システム化して、誰もがわかるものにすることであり、人間が作り上げたものなのですが、意外とその「本質」は、身近な自然の中にあるように思っています。

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