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二つの役割
「未来の自分のためならば、今の自分を変えることはたやすいことである。」、賢人の言葉ですが、近年、社会が生まれ、公共の概念が作られるようになると、そこで生きている人々の中に、役割ができてきた。社会には規則ができ、法律が制定され、日常の暮らしの中にも細やかなルールが作られるようになってきた。誰もが安全に、安心して日々を暮らすために、ルールが必要との多数の意見でつくられたものだ。経済の成長や荒廃、人々の思いなど時代の進歩や変化に応じて、私たちは先人が作ってきたルールを書き換えてきた。
そのような社会の構造にいつの間にか、大きく二つの役割を持つ人たちが生まれてきた。
一つは、現状のルールを守り、“変わらないこと”が大切なことだと思う人たちである。根底には、時代を経て積み上げてきたものには、評価すべきものがある。平穏で安定した社会こそが評価すべきものである、との思想がある。このような人たちのことを「保守的な人々」と呼ぶ。
二つは、現状に課題があれば速やかに対応し、“変わること”に価値を持つ人たちである。根底には、社会のルールは人が作りだしたものだから、完璧なものであるはずがない。なので、時代の要請に応じた改革は必要なことである。新しい考えや技術は取り入れることで、その適応性を評価するものである。このような人たちのことを「革新的な人々」と呼んでいる。
過去を振り返ってみると、節目になった時代には、いろいろな変革が起こっている。例えば、明治維新後には西洋の文化の導入により、機械、造船、土木など近代的な産業が興ることになった。同時に憲法の制定や議会の招致、選挙制度やのちに婦人参政権など、市民が参画する民主主義の時代になってきた。
この変革の時代には、“変わること”が良いことだとする人たちが、主人公になってきたと思える。背景には、変わらなければ、日本の国がなくなってしまう、という危機感があったことも事実である。その後の高度成長期を経て、平成の時代の今を生きている人たちは、果たしてどちらの役割を担う人たちを“良し”とするのかはわからない。
それでも私は、今の生活が今後もこのレベルで続いていくと信じることはできない。先人が作り上げ、今に生きる私たちがそのルールを使わせていただいているのですが、そろそろ制度疲労が表面化しているように思える。奈良の福祉についても、明日のために今すべきことがあると考えている。それが未来の自分たちのためになるからである。