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新・習慣

奈良も穏やかなお正月を迎えることになりました。元旦の午前は恒例ですが妻と奈良のホテルから浮見堂を眺めながら、ケーキセットを楽しみました。奈良町は相変わらず初詣の観光客で賑わい、餅つき店の前は人だかりになっていました。

元旦は初詣からはじめるは自然であり幼い時から日本人の習慣になっています。特別に意味を調べることも疑問を抱くわけでもなく、新年を祝う行事としてなんとなく出かけてみる程のものになっています。私たちは暦が作られていないときから、季節の移り変わりを風習や祭りにして大切にしてきました。奈良は古くからの風習が未だに色濃く受け継がれている町なので、世界遺産だけでなくそのような雰囲気を楽しみに来られる方も増えてきています。

情報分野では知識や情報を文字や数字及び図等で形式化することがあります。またそれらを日常的に、“なんとなく”使うと、徐々に「習慣」になり、さらに多くの人たちと共有すると「風習」に上り詰めることになります。初詣もはじまりは五穀豊穣、家内安全を神に祈願するものでしたが、風習になることで本来の意味から離れこともあるようです。

最近、ニートやひきこもりの話題がメディアで伝えられるようになりました。多くは外出しないで日々家にいて、個人的な「何か」をしている人たちを総称したもので、外出しない人+収入のない人になりそうです。働いてない人、収入のない人だけでなく、外出がなく社会との関係が希薄であることがポイントで、家事手伝い、売れない文化人やタレント、また職人や専門職は対象になっていません。一方、引きこもりで収入のある人はどうなるのだろうか、自宅で働いて収入があっても社会的な課題は残ります。

日本が裕福になり、働かなくても生きられるようになると、生き方、過ごし方は個人の価値に起因するようになりました。例えば、親の財産や年金で生計が成り立てば、収入は必要なくなります、また自宅で株のトレーダーで収入を得ていれば、友人・知人がいなくても生きていくこともできます。時代と共に「ひきこもり」の定義が変わり、日々、個人で何かをし、その過ごし方に本人が納得していれば対象外になります。

常識や風習は共有化したものなので、地域の多数の意見を総称していますが、個々の生き方や働き方を包括していないのですが、それでも世間は同じ生き方を求めてしまいます。多様であることは個人を認めることなので、今年は多様な風習・・が一般的になるかもしれません。

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