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分かりやすさから

今年は暖冬で紅葉の時期が遅く、ようやく奈良公園の奥にある大きなイチョウの木の周りに黄色い葉が広がるようになりました。都会ではジングルベルとサンタが年の瀬を告げていますが、もし24節季だけで暦が作られて、今のようにこの季節を「12月」として示していなければ、その時々の寒さや陽あたりだけが季節の移り変わりの目安になり、季節を意識することに無頓着になっていたかもしれません。奈良の静かな師走も、インバウンドで国籍不明エリアになり、たぶん1300年前のシルクロードをラクダに揺られて平城京にたどり着いた人たちで混雑した風景にタイムスリップした雰囲気があります。

現代は、人の生き方も年齢と共に多くの決まりごとが作られ、例えば、生後何日以内に命名し出生届があり、6か月や18カ月の検診、6歳になると小学校に入学、18歳で選挙権が与えられ、20歳で成人になり喫煙や飲酒が認められます。忙しい人生ですが、障害者も18歳になると障害児から障害者になり、成人向けの福祉制度を利用することができます。20歳になると障害の程度などの要件を満たせば障害年金を申請できるようになります。

このように年齢を数字にして人の成長と社会の関わり方が決められています。その規則はいつのまにか最大多数の方には良い仕組みになり、世間一般に受け入れられ、当然のようにこの手順に沿った生き方が標準になる一方で、それを負担に感じる方も出始めています。人の成長や思いは地域や個人の差があるので、共感し同調できない方もいます。また少数ですが同調したくない方も増え凸凹のある生き方も顕在してきました。教育分野では、義務教育の学校に通学するかしないか不登校になるかどうか、また障害者では手帳を申請するかどうか、さらに手帳を公表するかどうかも選択できるようになりました。

このように個人の判断が尊重されるようになりましたが、移行期にありがちな曖昧なものも残っています。選択肢が増えると、独自に調べて判断できるのですが、比例して責任も増え、また必ずしも選択が最適にならないこともでてきます。自らの生き方について、取り扱い説明者のように数字、文字や画像をSNSなどに公表することもできますが、その判断も個人に任され責任もすべて個人に帰属します。分かりやすさを大切にすることは、「人」がもつ、自然に生きることに繋がるのですが、時期と場所、他者を見極める感覚も発揮してほしいものです。

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