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曖昧な生き方
桜の開花の便りが聞かれ、例年よりも数日早くなる地域もあるとのことです。気象庁が発表する開花宣言の基準は、標本木となる桜の木に5、6輪の開花が見られるとのことです。あくまでも正確に「何輪」ではなく、その程度となっています。天気予報も同様に時間で変化する天候をエリア別に表示されていますが、それも時間単位やエリアも広くなっています。天気予報がやや曖昧になっているのは、気象の観測技術に課題があるといわれていますが、それを論ずる前に私は“自然とは気まぐれなもの”との受容が大切だと感じています。
社会で働くといつしか正確さを追求することが当たり前のようになりましすが、冷静に考えると、どのようなことでも“曖昧なこと、そんなもの”で片付いてしまうことがたくさんあることに気づきます。算数で1+1=の答えを2と素直に答えて、〇をいただき、大人になると、1+1=の答えは条件によっては無数に存在することを知るようになります。数値は正確に表現するものだと認識していますが、それも数値が正数、小数それとも・・の条件によっては、答えが変わることや1つに決めることができないこともあります。
福祉は人の生き方で“あいまいさ”を大切にしている貴重な分野であり、お互いさまの精神で、自分をとりまく他人や環境を容認しながら、そこで穏やかに生きることを選択するお手伝いなのです。だから、どのようなことでもたくさんの正しい答えを持ち合わせ、間違いを気にしないとも言えます。
子育てしている親御さんとお話しする機会がありますが、現状の認識や期待から、そこに「具体性や正確さ」が求められていることを感じています。学力、スポーツや音楽、また将来なりたい職業は何と、イメージが具体化しています。しかし子どもにとって、成績はその時点を数値で示したものだけであり、すでに過去のもので、そこに内在している能力や思いを正確に表現したものではないのです。子どもの成長過程の意外性は、よく知られているおり、そこには正確な裏付けよりも、“なんとなくそう思いたい、”が集まったものなのです。
ただ、福祉も徐々に成果を求められるようになり、結果を出してようやく相応の対価の支払いが担保されるようになりました。成果を求めるビジネス手法と曖昧さを大切にする福祉分野が近づき始めています。人は、時間に正確で、業務の成果を出し続けることが難しいとされる生き物です。感情の起伏もあり、働きたくないときもあるので、それを時間、賃金、場所や義務感で拘束するやり方が、人に適した環境とは言えなくなってきています。しんどくなる人が年々増え、心療内科が忙しくなっているので、人が幸せに日々を過ごすことができるように、もう少し曖昧で、お互い様の福祉を続けていきたいものです。