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社会的価値の今昔

“女性がかがやく社会の創設”はとてもいいフレーズなのですが、その意味するものはどのようなことなのでしょうか。奈良県は専業主婦の割合が全国で第一位になっています。また持ち家の比率も高く、しかも昼間に県外に働きに行かれている方が5割以上いるのが実態なのです。これを良否で判断することでなく、その現状を素直に見ますと、50年ほど前の日本の姿でもあります。

高度経済成長以前の日本は大家族制度で「家長」として代々家を継承し、兄弟や親せき、一族が近くに住み働く、古来の村社会の習慣が残っている時代でした。男性は働き、賃金を得ることと安全を確保することを役割にし、女性は家事や育児、介護など生活全般を担当していました。そのような環境で生まれた子どもは、跡取りとして母親だけでなく家族や一族及び地域で育てるものだとの思いが一般的でした。

ですから、持ち家率は高く、女性の専業率も高く、男は条件の良い働き口を探して、県外に出かけることもありました。農村部の冬の出稼ぎは有名な話でありました。

それが、大家族制から核家族制が提唱され、関西の千里ニュータウンのハイカラな団地生活がメディアで報道されました。その当時の女性から独立した生活環境、姑問題からの解放、生活に便利な電化製品など、これが近代的な生活と称されるようになりました。まさに団塊の世代が歩んできた道であり、日本の高度成長の足跡でした。

独立した生活を求めたことの結果として生じてきたことがいくつかあります。子育ての問題、待機児童の対策、学級崩壊や教育問題、職住分離、遠距離通勤、住宅ローンの圧迫、介護や社会保障の増加などです。また、お墓の維持継承、家系や地域文化の衰退、一極集中、限界集落、後見人問題、出生率の低下にも影響しているかもしれません。

奈良県を50年前の日本に置き換えてみれば、果たしてどのような社会が適切なのかは難しい判断ですが、あながち今の奈良を否定する必要もないとの意見があってもいいと思われます。有史以来、人が求めてきた社会の在り方に「理想」とするものはないように思います。その時代に生きる私たちが良いと思える社会が「理想」なのかもしれません。

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