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おしゃべりと話し合い
最近、小・中学生がスマホを持つようになりました。親御さんは安全や利便性が目的で持たせている方も多いと思います。子どもたちは、ラインや電話などの通信手段や動画を見ること、ゲームをすることが主な目的になっているようです。少し課題になっているのは、子どもたちが深夜までスマホを使っていることです。ラインや好きなケームをすることは興味深いことなのですが、なぜかただ一人で数インチのメディアの世界にのめり込んでいる印象を持ってしまいます。
人が興味を持つメディアを歴史的に見てみると、奈良時代に万葉仮名が作られ、万葉集などの書物が作られました。その後時代を経て、かわら版、新聞、雑誌、電話、インターネットとなり、現代の情報端末によるツールへとつながってきます。これらはその時代の科学技術を代表するものなのですが、そのメディアの付帯物として必ず「おしゃべり、井戸端会議」の口コミがあります。
口コミの代表格は何といっても大阪のおばちゃんです。遠慮がなく、あけっぴろげで、決して「結論」を求めないスタイルは感心するばかりです。自分が話すことを一番大切にすること・・のように思われ、相手が息継ぎをしている隙に話題を自分の関心ごとに変えていく、この強引さと屈託のない人間性に共感することばかりです。まるで“私は一日にこれだけの量を話さないといけない・・”をノルマにしているようです。おしゃべりの万歩計はないので、言語量をはかることはできませんが、そのノルマ意識は素晴らしいものです。
一方、社会では、「話すこと・・伝えること」から「話し合うこと・・理解し合うこと」を目的にした、傾聴型の話法が使われます。会社では、上司や同僚から業務の指示や伝達があります。不明な点があればその都度聞き返して、内容や意図を理解することが通常です。また福祉の現場で利用者さんとの面談では、話の内容を把握し、思いや希望を明確にするなどの聞き取りをすることがあります。決してどちらか一方が話し続けるのではなく、課題が明確になれば、その解決の手段をアドバイスすることや互いに協力して検討することもあります。
「話すことや話し合うこと」は、これも大切なことなのですが、決して一方的なノルマ型のおしゃべりだけではないのです。話し合うことで、お互いが現実の課題を認識し、解決の方向に向かうための行動が求められることになり、こころが和むのです。深夜に個室でただ一人、数インチのスマホに向かうことも楽しいと思うのですが、できれば昼間に他人と同じ空間にいて、同じ空気を感じ、生の声で話すことも大事にしてもらいたいと願っています。