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障害者らしさとは

公共の場所や交通機関には、障害者が利用しやすくするために障害者マークが付けられている。多くは車椅子を模した絵である。最近では、視覚障害者や内部障害者などなど、障害別にマークが作られ、目にする機会も増えてきている。私は12年前に発声機能を失う「無喉頭」障害者になり、身体障害3級の手帳が交付されている。ただ話をしない限り外見だけでは、私が障害者と気づく方はいないと思っている。また近年障害に新たしく認定された、精神障害に類する、高次脳機能障害や発達障害の軽度の方などは、外見では障害があると認識できないケースも多くなっている。このように現代では障害の範囲も増えてきており、容姿、歩行や態度などの外見で明らかに障害者と分かるケースは少なくなっている。
現在検討されている障害者基本法の改正案などをみると、障害者の範囲を身体的、知能的、精神的な損傷とするだけでなく、日常及び社会生活を送る上で相当な制限を受ける者との記載がみられるように、障害を機能的な損傷だけでなく、社会とのかかわりで定義するなどの現実的な検討もなされている。
ただ現実に多くの方はまだまだ“障害者とは知能的に障害がある”と思っている。そのような機会に日常的に出会うことも多くある。確かに知的に障害がなくても、社会生活や仕事をするうえで健常者と同様のことができないことが、障害と認識し、手助けや支援や配慮の対象となるので、自分と比較して劣っているので、だから「知能的障害」があると思われる方が多い。日本語のあいまいな使い方に慣れている私たちは、いつのまにかその本当の意味を軽視して、簡単に身近な単語を使ってしまうことがある。正確には、障害とは、「機能的な損傷」であり、決して「知能的な損傷」だけではない。ただこのような難しいと思える内容を、多くの方に理解してもらうことは、大変な努力と時間がかかると感じている。
福祉の活動は、社会の理解を得て、個人の生活、社会性を基本に、仕事をして経済的な自立を実現できるように支援することである。個々人には「生活」があり、「社会性」を持ち、はじめて「仕事」ができる・・・このような図式が現代社会の“幸福行き”の構造である。いろいろな意見や考えがあると思うが、それならば“仕事をすることが福祉なのだ・・”と分かりやすく言い切ってしまうことも大切である。分かりやすさが理解を早くし、多くの賛同を得る機会に繋がっていく。これからはこの分かりやすさの考え方を基本に活動を続けたいと思っている。

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